「展覧会のこと」

展覧会のこと 2026年3月

2026年3月4日(水)
地下鉄の銀座一丁目駅から地上に出て、コーヒーのチェーン店で軽く食事をしてから、ビルの5階までエレベーターに乗る。「河田政樹 残るまで」の行われている藍画廊に入る。入口すぐの壁面に、開かれた本の小さな写真が背面を壁に密着させた状態で展示されている。うつっている本のページには文字が並んでおり、そこに木漏れ日によるひかりと影がさしている。開いたノドの部分には栞紐が見える。作品リストを参照するとこの写真はカラーコピーとなっている。入口左側の壁面には、とても暗いところにわずかな木漏れ日がさしている写真。うつっているのは低木の広葉樹ではないだろうか。作品リストを参照するとこれら数枚の写真はオフセットプリントとなっている。入口すぐの小さな写真とは異なり、紙の上部のみが壁面に密着しており、下部は壁面には密着しておらず浮いている。画廊の窓辺に、色のついたプラスチック板のようなものが数色組み合わさってグシャっとなっている立体が3つ。外光を透過して波打つ色の影を落としている。その右の壁の小さな写真には、かつて整備されたことがありそこに草が生い茂ったと思われる場所がうつっている。その右側の広い壁面には作品は展示されていない。隣の部屋へ移動する。壁面の窪みに、なにかしらの線が引かれたと思われる紙をうつした写真。その下にはグシャっと丸められた紙の立体が2つ。この部屋には照明はなく、窓は厚手の生成りのロールカーテンのような布で覆われている。薄暗い。プロジェクターが壁面に映像をうつしている。設置されたベンチに腰掛けて映像を見る。開いて置かれた雑誌のページがうつしだされている。静止画なのかとずっと見ていると、画面外の、まわりにある木の葉が風に揺れたのか、ひかりと影が動き、動画であったことがわかる。置かれた動かないものが動いている。文字があるので、読んでみようとするが、数文字の断片ばかりを追ってしまい、内容がまったく入ってこなかった。また、ひかりが文字の部分を真っ白く飛ばしてしまい、読めない。映像でなく、雑誌を直接見ているのであれば、目が明暗調節を行い読める文字も、機器を通すとそのようになってしまうのかもしれない。どれくらい経っただろうか。やがて映像は急にフェードアウトして、次は文字だけの文庫本をうつしだした。今日は比較的暖かいからかエアコンは止まっている。プロジェクターのたてる音と、窓を塞ぐ布にうつる屋外からのなにかの影が気になり始める。ちょっと居眠りをして、気がついたらまた違う本がうつっている、という時間経過を夢想する。そして、次の場所へ移動することを考え始める。この部屋の窓の脇には葉っぱのうつった写真が1点。

 

 

 

 

 

河田政樹 残るまで 会場:藍画廊(東京都・銀座) 会期:2026年3月2日〜3月7日

 

3月6日(金)
神奈川県立近代美術館鎌倉別館に着いてまず、カフェにてチーズケーキとレモングラスティーで休憩。14時ころ。ゆっくりとした時間の流れ。「福田尚代 あわいのほとり」を見る。写真撮影禁止であった。そのことはこの展示では必須と思われた。ミュージアムショップで工藤甲人と荘司福のポストカードを買う。

福田尚代 あわいのほとり 会場:神奈川県立近代美術館 鎌倉別館(神奈川県・鎌倉) 会期:2026年2月21日〜5月17日

 

3月7日(土)
13時半ころ立川駅に着く。すこし歩いてから、食事する店を探すが、ランチ1500円とか2980円とかだし非常に混んでいるしで、げんなりしてしまった。コンビニエンスストアでサンドウィッチを買ってベンチに座って食べる。たましん美術館で「絵画を生きる──多摩の美術家3人展 加藤学/徳永陶子/島﨑良平」を見る。加藤学のかつての作品から最近作、ドローイング、インスタレーションまで見ることができた。展示会場で行われた本人のトークを立ったまま聞く。聞いているあいだ進めた歩みは数歩だが、すこし曇った空の、舗装されていたり地面が剝き出しになっていたりする草木のある道を、作者と一緒に歩いたような気持ちになる。それでなにが変わったというわけではないし、なにを覚えているのかも定かではないけれども、気づいたらここに来ていた。

絵画を生きる──多摩の美術家3人展 加藤学/徳永陶子/島﨑良平 会場:たましん美術館(東京都・立川) 会期:2026年1月10日〜3月15日

 

3月13日(金)
銀座、京橋と歩く。都営地下鉄の宝町駅がそばにある。そこから麻布十番駅までは約20分。地上に出て、「秋野ちひろ展「手紙」」の会場であるGallery SUまでの道を歩く。途中の坂道をいつもより急に感じる。
ひかえめな音量でピアノの曲が流れている。16時半ごろ。窓と窓のあいだの壁に「ぬい合わせたもの」という作品。窓枠に、タイトルのないちいさな作品と、その右にドライフラワーのようなミモザが小瓶にささっている。かつてみずみずしい黄色だったのかもしれないその花からなにげなく視線を上の方に移動すると、明かりとりのガラス窓の向こうにミモザの花が咲いているのが見えた。ギャラリーの方に尋ねると、1月のうちから咲きはじめていまくらいまで花が続くのだそう。毎年この時期に行われる秋野の展示の際、いつもそうしてあったのだろう。「ぬ」をどうして漢字にしなかったか。不明だが、ひらがなであることには、この作品がこうであることの理由がこめられているかもしれない。薄い真鍮の板を素材として使用している一連の作品。金属でありながらとても軽そうに見えるのはこの作者の作品の特徴と言えるし、実際軽いのであろう。多くの作品が、銀色の細い針ピン2本だけで壁に支えられている。「Writing」と名付けられた連作がある。字を書くときの手の動きからつくられたというこれら。かたちとしてあらわれたことによって、抽象化された、あるいは隠された文字のように見えなくもない。さらには壁にうつる影が、作品の本性をさらけだしてしまっていると、考えることもできるかもしれない。どうして「書く」にしたか、「描く」にしなかったか。考えてみたがわからなかった。展覧会のタイトルを思い出すと「手紙」であった。ここにつながりはあるか。輪のようになった作品があった。その細い、内側に、照明があたって壁にひかりの粒を反射させていた。意図していないことだったのかもしれないが、作者が真鍮の板を叩いた跡が、そのようなことを起こしているはずであった。いくつものちいさな円状を針金がつないでいる作品。ギャラリーの方から、星の話、上空から地上を見たときに視界に入るひかりの話、を聞く。遠くに、ひかりが見えるということ。それがここにあるということ。
ずっと聞こえていたはずの音楽が、ふたたび聞こえてきて、「なんの音楽ですか」と尋ねる。17時半を過ぎていて、外は薄暗い。今日はこれでおしまいにする。

 

 

 

秋野ちひろ展「手紙」 会場:Gallery SU(東京都・麻布台) 会期:2026年2月28日〜3月15日

 

3月14日(土)
高田馬場駅からAlt_Mediumへ向かう。飲食店の並ぶさかえ通りが混雑している。人の気配が薄らいできたころ、コンビニエンスストアで缶コーヒーを買って飲む。
「中村羽菜 caru」を見る。室内の衣服、布、家具などに人の気配をまとわせ、それを写真にしている。作者のコメントには「被写体の私物のみを用いて撮影されたこのポートレート」という部分がある。被写体とは作者のことだろうか。あるいは他者か。あるいはいないなにものか。ポートレートとあり、セルフ・ポートレートとは書かれていない。本人が本人を撮ってもポートレートであり、本人がほかの誰かを撮っても、不在者を撮ってもポートレートであるだろう。うつっているのはそういう誰かなのかもしれない。かつて、部屋に置かれた紙袋に誰かの気配を見出して、それにさわることもできず、毎日ただ眺めていたことがあった。いまだったら一枚くらい写真を撮っておくだろうが、そのときは思いつきもしなかった。

中村羽菜 caru 会場:Alt_Medium(東京都・高田馬場) 会期:2026年3月13日〜3月18日

 

3月28日(土)
先週は風邪をひいてしまい出かける予定だった催しをすべてキャンセル。今日行くところもそのうちのひとつ。今週はパソコンが故障してなにもできなかった。こういうとき、できることをすればいいはずで、そうするつもりだったのに、実際にしたのはただひたすら眠ることだった。もともと昼夜が逆転していたのに加えてずっと眠っていたので、活動のための時間がいつなのかわからなくなった。
12時ごろ、新宿から高速バスに乗る。約2時間後に山梨県の石和に到着。iGallery DCで行われている「内なるものは外にあり 向井三郎」を見に来た。展示されているのは、木炭ドローイングとゴム版画の作品。木炭ドローイングは、大きな紙に、その風景の現地にイーゼルを立てて描かれた。間近で見る。木炭の濃淡が見えていて、風景の絵であるとはわからなかった。離れると、風景の絵として見える。作者は、どうやって描いているのだろうという疑問が湧き尋ねる。近づいたり離れたりしながら描くのですか?と問うと、割と画面の近くにとどまっているというような返答。描くことにおいて自明のことを聞いてしまったかもしれない。ゴム版画はインキの黒、紙の地の白のコントラストがはっきりした作品。そのなかに「雲と雲」というタイトルのものがあった。雲であり、雲から逸脱した雲である雲。
ギャラリーから出て、曇天の空を眺めながら、作者と話しをする。展覧会名に含まれていた「内」と「外」について。外の世界を観察すること。それが内面に結びつき、作者の情緒的ななにかと関わる。内と外が無効化される、内と外がその界面で互いを映し合う、内と外が浸透し合い一体になる、そのような、実感のこもった話を聞く。作者は風景に包まれ、また風景は作者に包まれの繰り返し運動のなかスケッチを行えば、そこに風景の絵が生じる。気象と呼ばれる現象も、生命と呼ばれる現象も、区別はないのかもしれない。テリー・ライリーの、声を用いた曲の話が出る。
夜、高速バスに乗って新宿へ戻る。

 

 

 

内なるものは外にあり 向井三郎 会場:iGallery DC(山梨県・石和温泉) 会期:2026年3月12日〜3月29日

 

言水ヘリオ(『etc.』発行)