動き出す世界──未来の観客へ宛てて
大槻晃実
飯川雄大さんの作品は、設置される場所と密接な関係性を持っています。それは、その場所の歴史や物語といった背景ではなく、その場所が持つ空間の「構造」そのものとの結びつきです。展示の準備期間中、飯川さんは時間帯や季節を変えながら会場を何度も訪れ、人の動きや空間の癖、音や明るさ、スタッフや来場者のふるまいを丹念に観察します。こうした観察と調整の積み重ねは、作品を「そこ」に立ち上げるための基礎工事にほかなりません。
αMの空間に備わる、視線の抜けや天井高、音の反響といった微細な条件は、来場者のふるまいを変化させます。そうした空間の「癖」を鑑賞者の行為と結びつけるかたちで、飯川さんは設計に取り込んでいきます。そこから見えてくるのは作品の成立が物体の配置だけではなく、人の動きや気配の回路によって支えられていることに気付かされます。
αMで立ち上がるのは、鑑賞者が各会場へと運搬する《デコレータークラブ―新しい観客》とドローイングなどです。「など」に含まれるのは何か、ここでは内緒にしておきます。ぜひ会場へお越しください。
《新しい観客》は、誰かに運んでもらうのを首を長くして待っている。なぜならそれは、鑑賞者が「運ぶ」という行為に参加することで初めて完成する作品だからです。通常は設置・固定されるはずの彫刻が、本作では鑑賞者の「運ぶ」という行為を受け入れることで、彫刻の概念そのものを拡張してみせます。それにもかかわらず、その姿はきわめて日常的で、一見すればごく普通のスポーツバッグです。キャリーに載せて移動する人の姿も、日常の運搬の風景と区別がつきません。しかし、非常に重たいそのバッグを移動させるためには大きな動作が必要となるし、普段なら気にならない段差が思いがけない障害となって運搬を困難にすることもあります。
そうした微かな「ひっかかり」を目撃した第三者は、理由のわからない違和感に目を向けます。こうして作品は、展示室の外へと持ち出されるたびに街の風景へと紛れ込み、その一度きりの光景に出会ってしまった人が、思いがけず「目撃者」となります。それを作品だと知らなくても、その違和感が思考を動かす契機となり、とたんにその場で「新しい観客」になってしまうのです。
飯川さんの作品には、鑑賞者がハンドルを回すと配置されたロープが動き、どこか別の場所で「何か」が変化するものがあります。ロープは確かにどこかへ伸び、何かにつながっているのですが、その回転がもたらす変化をすぐには目視できないように設計されています。実際にはロープは有線でつながっていますが、私たちが感じ取るのはむしろ、目に見えない関係性、まるで無線としてのつながりでしょう。
《新しい観客》も根底では同じ構造を有します。運ぶ人、見ている人、状況を意識しないままであっても空間を共有する人、それぞれが見えないロープのような線で結ばれ、行為が関係を生み出します。時間をかけて観客から次の観客へと体験がリレーされることで、離れた会場同士が結ばれ、地域と地域が関わり合いはじめます。いまはまだ点を結ぶ細い線かもしれませんが、やがてはそのつながりが地域という枠を超えて、思いがけない関係が生まれていく未来を思い描けるでしょう。運ぶという行為が、世界を動かす力へと変わるのです。
飯川さんは、鑑賞者を信じています。いまは届かなくても、いつか別の場所で、誰かが気づいてくれる。その信頼が作品を支えています。行為はメッセージとなり、言葉よりも遠くへ届く。受け取った誰かが、次の誰かへと手渡していく。その連鎖のなかで私たちは、いつのまにか世界の動きに参加しているのです。

2023年(作者:サラ・デュルト、神戸大学大学院人間発達環境学研究科)
撮影:飯川雄大
デコレータークラブ:すべて違う姿
飯川雄大
数年ぶりに会った大学の先生が「飯川くん、自主企画で作品発表しても価値はない、評価されないよ」と言ってきた。「嫌なこと言うなぁ」と思いつつ、つまりは、展覧会はいろんな人と協働して作るもので、好き勝手やるだけじゃダメ。その自主企画のスタイルは続かない。誰かに作品を認めてもらい、一緒に何かしようと言ってもらえるようになりなさい、と。
大学卒業後は、空き店舗を借りたり、自分たちの家やアトリエを使って、自由に作品を発表していた。お客さんはほとんど友達だったり、たまに美術関係の人がきたり。先生は冷たかったが、案外やりたいことができている実感はあった。
自主企画もほどほどにと言われ、その後も何かの企画に呼ばれて発表する機会はなく、このままではあかんと思った。誰にも頼まれてないけど、やっぱり企画して発表するところまで自分でやろうと。声がかかった時のために準備しておくのもいいかもしれない。漠然と、場所にとらわれず、いつでもどこにいても制作して発表ができる作家になりたいと思っていた。その都合のいい理想の設定を成立させるべく、逆算して考えたのが「デコレータークラブ」。
元になったデコレータークラブ(クラブは蟹のCrab!)は、世界中の海に生息し、天敵から身を守るために擬態する習性を持つ。1匹ずつ、その場所にあるモノを身につけているから、同じ見た目、形のものは世界に一つとして存在しない。どこにでもいるはずなのに、すべて違う姿なのだ。もし誰かが見ても、見つけても、何を見たのかわからない。その関係性は、展覧会や作品の表現として使えると思った。
飯川雄大 Takehiro Iikawa
1981年兵庫県生まれ。鑑賞者が能動的に関わることで変容していく空間や物が、別の場所で同時に起きる事象と繋がっているインスタレーション作品《0人もしくは1人以上の観客に向けて》、誰かの忘れ物かのような《ベリーヘビーバッグ》、全貌を捉えることのできない大きな猫の立体作品《ピンクの猫の小林さん》など、鑑賞者の行為によって起きる偶然をポジティブにとらえ、見るものに思考を誘発しながら展開していく作品など、〈デコレータークラブ〉シリーズを2007年より発表。
2026年、水戸芸術館現代美術ギャラリー(2月28日〜5月6日)、KOTARO NUKAGA(4月4日〜5月23日)、Art Center NEWでも同時期に個展を開催。
プレスリリースより編集・抜粋して転載
立ち止まり振り返る、そして前を向く
大槻晃実(芦屋市立美術博物館)
この場所で私に何ができるのだろうか。最初に考えたのはそのことだった。私は公立美術館で学芸員として働いている。だが、指定管理者が運営する美術館であるため、公務員ではなく会社員だ。コレクションが健康な状態で受け継がれ、これから先も美術館が存続していくという未来は、決して当たり前のことではない。大切にしていくべきこと、守らなければならないことには多様な視点や局面があり、それがちぐはぐに組み合わさった居心地の悪さが常に同居している。
そんな学芸員が、このαMという場所とどう向き合えばよいのだろうか。各地の美術館が様々な事情を抱え、困難に直面している。それは今もこれからも変わらないだろう。しかし、たとえどのような運営形態であっても、誰が運営者であっても、美術館にはかけがえのないものがある。それは、その美術館の歴史に寄り添いコレクションから刺激を受けながら展覧会を企画してきた歴代の学芸員や、地域や行政との間で試行錯誤しながら運営に関わってきた職員が経験を蓄積してきた場所であり、観客が作品と出会って思いを深めた展示室という場所だ。
30年以上にわたって時代の先端を敏感に察知して活動を続けてきたこのαMという場所では、作家がいて作品があり、鑑賞者が集い、対話や議論が重ねられる日々が続いてきたことだろう。そんな場所の過去と現在を往来しつつ、作品との対話の中から鑑賞者が自ら問いを立てて答えを探るような、そしてそれを皆で共有できるような場を作りたいと思う。参加してくれる作家たちと議論を重ねながら、歴史と今この時の美術を同じ次元でとらえることで、「美術のための場所」のことを皆で共に考えていく2年間にしたい。
自ら考えるという行為を続けることこそが、この社会で美術を健全に存在させていくためには不可欠であるはずだから。
大槻晃実 Akimi Otsuki
芦屋市立美術博物館学芸員。専門は近現代美術。企画した主な展覧会に「今井祝雄―長い未来をひきつれて」(2024年)、「art resonance vol. 01 時代の解凍」(2023年)、「限らない世界/村上三郎」(2021年)、「植松奎二 みえないものへ、触れる方法―直観」(2021年)、「芦屋の時間 大コレクション展」(2020年)、「美術と音楽の9日間 rooms」(2020年)、「art trip vol.03 in number, new world / 四海の数」(2019年)、「小杉武久 音楽のピクニック」(2017年)などがある。
プレスリリースより転載
αMプロジェクト2025–2026
立ち止まり振り返る、そして前を向く
vol. 5 飯川雄大|デコレータークラブ:すべて違う姿
ゲストキュレーター:大槻晃実(芦屋市立美術博物館)
会期:2026年4月11日(土)〜6月13日(土)
休:日・月曜、祝
時間:12:30〜19:00
会場:gallery αM
住所:東京都新宿区市谷田町1-4 武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス2階
電話:03-5829-9109
料金:入場無料
https://gallery-alpham.com
*アーティストトーク
飯川雄大、大槻晃実
日時:4月11日(土)17:00〜18:30
*会期中にイベントを開催予定
詳細は決まり次第、ウェブサイトとSNSにて告知。
- JR中央線・総武線「市ケ谷」駅・出口1、または東京メトロ有楽町線・南北線「市ケ谷」駅・都営地下鉄新宿線「市ヶ谷」駅・出口4を出る
- 出口1からの場合は左へ、出口4からの場合は正面へと進む(建物の屋上の看板に「TKP」とある方へ)
- 線路、外濠を下方に見て直進
- 「市谷見附」の交差点に突き当たり、「くすりの福太郎」「富士そば」の方に横断歩道を渡ってから右折
- 「モスバーガー」「マクドナルド」「ファミリーマート」を通過してすぐ左側にgallery αMが入っている「武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス」
- ギャラリーの入口は「MUJI com」店内の階段を上がった先の2階。徒歩3分。
MUJI com店舗から入場、左手の自動ドアから武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパスのエントランスへ。インターフォンにてスタッフに連絡。スタッフが解錠したゲート(右)から入場、エレベーター(右)へ。2階のエレベーターホール扉をスタッフが解錠、αMへ(※電話でのご連絡の場合、スタッフが1階に下りてご案内)。ベビーカーの方なども同様。
