「展覧会のこと」

展覧会のこと 2026年8月

2026年8月28日(金)
『浜田浄 めぐる 1975—』の図録を読み終える。2025年に高知県立美術館で行われた展覧会に際して発行されたもの。読みながら飲もうと思っていたコーヒー。口をつけないまま冷えた。この展覧会に行かなかったということが、自分の体験に埋めることのできない穴をあけている。同封されていた手紙をもういちど読む。

 

同日
19時。駅のホームで電車を待つ。屋根のすきまから細長く切り取られた空が見えている。暗い空。そこに色を置くとしたら、つやのない絵の具で、平面的に、透けるほど薄く、広げたらいいのか。そこには圧倒的な空間があるはずなのに、まるで紙の上のことのように考えている。帰宅して、朝になる。くもりガラスの窓が白い。雨雲レーダーを見るともうすぐ小雨が降るはず。座ったまま手を伸ばし窓をすこし開けて外を眺める。空は雲で覆われている。
増川朋花の展示会場で撮らせてもらった写真を確認する。掲示されていた文章。「白のほとり」というタイトルがついている。それはこの展覧会のタイトルでもある。文章は「7年間、描き続けている川辺の風景がある」とはじまる。「ほとり」と「川辺」が組み合わさり、「白」と「川辺」が呼応する。作品に描かれている川の多くは、やや盛り上がった太い道のようにも見え、印象としては白い。ときに地面と思われるところや空なども白い場合がある。それは、白い絵の具で描いたというより、下地として塗られた白がそのまま残されたということであるらしい。「手付かずの状態にしておきたかったのでしょうか?」「そうかもしれません」という作者との会話があった。同じ場所に何回もおもむいて同じようにスケッチをする。そのスケッチから「岩絵具を使って和紙や板の上に展開していく」。それを7年間続けてきたということ。

 

 

展示されている作品に見られる風景は、元になった現実の風景があるのかもしれないとは思いつつ、架空の場所であるかのように物語りはじめる。作者にとっては、それは実在の場所である。絵のなかの家の形態に特徴があり、入口がなく壁にちいさな窓がのぞいているだけなので、そのことについて尋ねる。実際にこのような家があるのだとのこと。「私自身の記憶と、その場所が持っている堆積した時間の層とが一つの風景として現われてくる」と掲示の文章にはある。作者のことばへと何回も立ち戻り、描かれた風景を眺める。しらないうちに自分固有の川辺を辿っていたような気がする。忘れるにも忘れられない記憶。それを戯れに語ることはできても、記すことはできない。

 

 

 

しんしんと積もる川の水面。滲みに屹立するしずかな家。風の巣の推移とその影響。朝がつぎの日だけでなく、そのはじまりも回想する。
主に死にかんすることの記述されている短い随筆を読む。途中、「昔の多摩川の春」という箇所で止まる。すんでいる川の水の底に、みえる土の色のこと。また、川をわたってまるで異界にでも入り込んだような風景にみられる色については、日本の顔料に言及している。今日見た作品が、その顔料で描かれていた。

 

◆増川朋花展 ─白のほとり─ 会場:トキ・アートスペース(東京都・外苑前) 会期:2026年8月18日〜8月30日

 

8月30日(日)
きのう夜おそく、SNSで流れてきた篠原宏明の展覧会告知。2日間だけの開催で今日までとある。眠ってしまったら見に行けないと思い、眠らずに昼頃外出する。目黒線の洗足駅に初めて降りる。駅前の古びた店で食事してから展示の場所まで5分くらい歩く。写真のスタジオとして篠原が20年くらい使用していたという広いスペース。退去するとのことですでに片付けられておりなにもない。ただ、壁面に写真が展示されている。今日の天気はくもり。照明がなくても暗くはない。太陽光が強く差し込むという感じでもない。屋根が部分的に半透明になっていて、このような天気でも明るいのだと思われる。きのうは雨が降っていたそうだ。

 

 

展示されている写真はどれもかつてギャラリーで見たもの。大きなサイズのプリント。洋梨をうつした写真が、もっとちいさかったのではないかと思い、これらはあらたにプリントしたものですか?と尋ねる。すべてかつて展示したものと同一との返答。記憶のなかで、勝手にちいさくしていたようだ。それにしても、そのときの会場がまるでうすぐらい密室であったかのように勘違いしてしまうほど、ここは広く、白く、空間に写真が置かれている、という感じがする。近くで見て、振り返って遠くの壁の写真を眺める。柱がある。それが写真と写真のあいだに位置するよう移動してみる。写真、あるいは、写真のある風景自体を眺めていたのだろう。次の来場者が訪れる前に写真を撮らせてもらう。そのあと、しばらくして来場者が訪れる。

 

 

 

ひとつの写真にうつっている、足元の渚の波の端にできている泡のことを考える。これは、寄せた波で発生したものか、それとも引く波のものか。そしてそこになぜか生命の有無を問うていた。また、地面と空のうつっている写真。境界がきわだっている。その境界ではなにが起こっているのか。作者が来場者に話していたことによれば、写真の場所は都内唯一の砂漠であるという。洋梨は収穫された果実であるとしても生きている。3点の舞っている人物の写真はここで撮影されたのだという。

 

 

 

◆篠原宏明写真展 See saw 会場:STUDIO MAU(東京都・洗足) 会期:2026年8月29日〜8月30日

 

言水ヘリオ(『etc.』発行)