2026年6月6日(土)
新江古田のノハコで行われている「exhibition 足もとについて 井上実|Minoru INOUE ─松の木の下─」を再訪。井上実と向井三郎のトークを聞く。
歩いたところを写真に撮る。それをA4の紙にプリントして、そのなかから気になったものを部屋に貼っておく。いつか、その写真をもとに描くときが訪れる。そしてそのときその絵の大きさも自ずとわかる。展示してある150号の大きな絵は、部屋にキャンバスを置けないので丸めたキャンバスをすこし広げて端から描いてはまた丸めて、というように描いていく。画面が埋まったら描き終わりになる。自分の描きたい絵には油絵具は適しているわけではない。水彩で描いたことがありそのときはとても良い結果が得られた。それでも油絵具を使う。絵具を重ねていく描き方ではなく、キャンバス地の白が透けて見えるような絵具ののせ方をする。そのような井上実の話。向井三郎は、井上とは異なり、近隣の海、川などへ赴きその場所で描く作家。かつて身近な植物や地面を描いていた際、葉や枝の位置、地面の土のかたちなどが日によって移動していることから、ものが動くということに興味がうつったのだという。自身の作品との違いから、井上の作品にみられる特徴、薄い絵であること、スキャンしたように描かれていること、などを発言し、井上の応答のきっかけをつくっていた。
制作過程や技法的なことが主に語られたのかもしれない。二人と、司会役をつとめたノハコの捧公志朗。その背後にある150号の絵。およそ1時間、トークを聞いているつもりが、実は絵を見ていたのかもしれなかった。

◆exhibition 足もとについて 井上実|Minoru INOUE ─松の木の下─ 会場:ノハコ(東京都・新江古田) 会期:2026年5月15日〜6月7日
6月12日(金)
会場がビルの3階だったか4階だったかわからなくなり、エレベーターのボタンで3を押す。3階ではなかった。その上の階で降り、名を記して入口直前に掲示されている、3人の参加作家の文章を読む。入場すると、左側の壁に中嶋千智の作品。右側の壁に石川美咲の作品。正面奥に元木孝美の作品。

抑揚をもって壁面に配置された中嶋千智の作品は、どれも額縁を備えている。額縁は各種あるがバラバラな感じがせず、個々の作品と、そしてこれら作品の構成において、不可分なものであることが見受けられる。作品リストには素材として「アクリル、木炭、木パネル」と記されている。画面としては、なにかが溶解してただれ水疱が発生し、それが平面的に凝固しているというようなことを見ながらイメージした。絵画として発生したものが目の前にあり、そこには自分も無関係ではない、と思う。

石川美咲の作品は、テグスに留められた7枚の和紙の列が9列。留めるのにはステープラーが使われていて、縦にだけではなく、横にも固定されているようであった。和紙には、描くというより、染め、しみ込ませるように色が使われている。パレット?に残った前の絵具は、次の和紙で拭き取られ、そこに「ハケで新しい色が塗られていく」(石川美咲のことば)という具合に、その行為が繰り返される。それを知ってあらためてこの作品に対すると、ここには非常に深刻なものが潜んでいるのでは、と考えるにいたった。このような色彩であるということが。

「地平景」というタイトルの元木孝美の作品は、向かい合う中嶋と石川の作品の奥の方、床面に設置されている。上方に水平に位置する1本の鉄の細い棒は、縦に立ち上がっている4本の鉄の細い棒と、ちいさな磁石で接して一応の固定がなされている。熔接や接着で固定されてはいない、ということ。緻密に、素材には最小限にしか手を入れずに行われたのであろう作業。彫刻としてはそこにありながら、はるか遠い、なにをあらわすわけでもないたいらな風景を想起させる。また、そこから顔を出して眺めたくなる台のような役割もあるのかもしれず、元木の作品の奥からふたりの作品を眺めてみたりした。


帰宅の電車に乗る前に、東京交通会館の地下の甘味屋でみつまめを食べる。再開発でこの建物も取り壊す予定との噂。いつまでここでひと休みができるのだろう。
◆quat + α 石川美咲 中嶋千智 元木孝美 会場:ギャラリイK(東京都・京橋) 会期:2026年6月8日〜6月13日
6月14日(日)
銅版画の作家で、屋外に、描く対象をみつけて、その場所に銅板を持参して通い現地で描くというひとは、多くはないのではなかろうか。スケッチがそのまま製版の前段階になるというのは、ソフトグランドエッチングという技法ならではか。
部屋への扉の手前にある作品。風景に、電柱、電線が描かれている。どちらかといえば邪魔に感じて排除しているか、見えていてもとりたてて注視しないそれらの存在。作者はそれらを見て、描くようになった。そのことによってひろがる空間が、この作品には感じられる。
扉をあけてなかへ。風景、樹木、花などのほか、海辺の岩、川の流れを描いた絵もある。川の流れは静止してはいない。それを描くというのは、流れそのものを描くということか。描くことで流れと自分との関係をはかるということか。作者は雲も描いており、雲もまた、描いているうちには様子を変えていく。
この会場を訪れた作者が近所の建物を描きに行った、という話。ギャラリーの方がその場所へ赴いた際作者に声をかけると、作者は極度に集中していて気づかず反応しなかったのだという。その話を聞いて、作品の、まるで切り抜かれたように描かれた樹木の絵をもういちど見返す。見るから描く、描くから見るへの往復運動が絶え間なく行われるそのまわりは、描かれない、あるいは描かれた、無音の空間になっていたようにも思えた。




◆北中幸司 銅版画展 会場:Gallery SU(東京都・麻布台) 会期:2026年5月30日〜6月14日
6月25日(木)
いくつかの展覧会を見てから母の住まいへ。書類を取りに行く必要があったため。最寄りの駅に着き、電話でなにか買っていくものはないか尋ねる。雑誌とポテトとチキンバーガーを買う。書類は部分的にしか見つからなかったが、仕方ないこととあきらめる。母はいつのまにかポテトを食べはじめている。コーヒーをいれてポテトとチキンバーガーを食べる。ほとんど無言。ひとつ質問をしてみたが無視された。食べることに集中していて聞こえていないのだろう。あるいは、聞かないことが身についている。屋外で降っているはずの雨の音が聞こえない。エアコンのかすかな風音。バーガーの包み紙がかさかさと音をたてる。ふと場面が到来し、スマホを見るふりをして、ポテトの写真を撮る。静音シャッターのカメラアプリを使っているので音はしない。20時半ころ、帰る支度をして、靴を履き、挨拶をしてドアを閉め鍵をかける。
言水ヘリオ(『etc.』発行)
