「展覧会のこと」

展覧会のこと 2026年5月

2026年5月2日(土)
どこを見ればいいのだろう。ともかくピントのあっているところを探す。だがそれ以外のところへと視線は動いていく。ひかりは、遮られるということが起こり、影ができ、暗いところが生じる。暗くなっている部分に目を凝らす。どの写真でも、わずかにのぞいている空は快晴であるらしい。ただこのひとの写真を、いまここで見ること、これからも見続けることでしか、立ち上がらないときというものがあるのかもしれなかった。なにもことばにならない。曲解して受け取りたくはない。作品ファイルをめくったり、販売されている写真集を手にしたりしてから、また作品の前を何度も通過して、まだ見ている途中だったがまたこんどと、この機会を終える。このことは、空洞に散在して残っている。

 

 

 

 
すべての画像 提供:Alt_Medium

LANDSCAPE PROBE: Interim Report 2024–2025 寺崎珠真 会場:Alt_Medium(東京都・高田馬場) 会期:2026年4月24日〜5月6日

 

5月8日(金)
そば屋があったので入る。店内は活気なくかつ丼は塩からい。店を出てひとつ展示を見る。今日はこういう日なのかもしれないと落胆する。歩いているといくつも食事できる店がある。ラーメン屋。店のそとで豚骨をくだく作業が行われている。
つぎのカーブで「黒須信雄 field-sound-drawing」を見る。いつもの黒須の作品とは異なる印象。公園で、病院の待合室で、ショッピングモールのフードコートで、百貨店の屋上で、その場の音を聞き、その音に反応して描かれたというドローイング。画材は、鉛筆や色鉛筆、水彩絵具などだろうか。直線や、円が描かれているのは、定規やコンパスを使ったのかもしれない。震えのような点の連なりや繰り返されては途切れる波線。浸透するような色と色。音を絵にあらわす、というたぐいのことはこのひとはしないと思った(展示会場で配布されたリーフレット『field-sound-drawing 黒須信雄』には「より精確には「或る特定の場処に於て音をドローイングする」関係性自體を〈描く〉試み」とある)。しばらく見ていたが、もし、できるなら、囲まれることで感知したいという気持ちになり、ほかに来場者がいなかったので腰掛けて作者と世間話をはじめた。視界のどこかに作品がうつっていた。
作品にかんする話もした。約2時間と時間を決めて、まだ描き終わっていないとしてもそこでやめる。作者が描くという意識もなくただからだが音に反応しそれが画面に残される、というのが理想的ではあるが、実際には描画におけるこれまでの鍛錬が働いてしまう、バランスもとってしまう。集中すると発生している音がきこえなくなってしまう、だから集中はしない。そのような話。この大きさの絵を病院の待合室やフードコートでも描いたということを考えると、わたしなどは人目が気になってしまうが、制作行為を実行する際にはそのようなことは関係ないのだ。はじめる前に描いているというちいさなドローイングが積まれていたのでそれを数枚めくる。これらをどうして描いているかについて、「場所になじむため」と作者は言った。これまで見てきた黒須の作品が一瞬思い起こされる。アトリエで行うこと。そのそとで行うこと。その場所でしかできないこと。

 

 

 

黒須信雄 field-sound-drawing 会場:つぎのカーブ(東京都・新宿御苑前) 会期:2026年5月8日〜5月23日

 

5月12日(火)
新宿駅から湘南新宿ラインで鎌倉へ向かうために電車を待っている。到着が遅れているらしい。あれやこれやの構内アナウンスが飛び交いわけがわからないので来た電車に乗る。大船行き。大船で乗り換えて次が鎌倉だった。友人とおちあい海へ。由比ヶ浜に場所を探して、砂の上に新聞紙をひいて髪を切ってもらう。水平線の方を向いてお茶を飲みなにか話をしながら。晴天で日差しが強い。汗がしたたり落ちる。遠くに島が見えている。あの島はなに島? わからない。途中ではさみが切れなくなり、友人は仕上がりに納得いかないようであったが散髪は終わる。待ち合わせていた友人の友人と合流して、木立のなかの日陰に移動してもちよったたべもので三人で食事する。ふとペットボトルを手にすると肉質のやわらかさを感じる。ちいさななめくじが這っていた。日が当たらないと肌寒いくらいだが、食事を終えて歩きはじめるとまた熱気を感じる。神奈川県立近代美術館 鎌倉別館へ向かう。
 
3月6日(金)
神奈川県立近代美術館 鎌倉別館に着いてまず、カフェにてチーズケーキとレモングラスティーで休憩。14時ころ。ゆっくりとした時間の流れ。「福田尚代 あわいのほとり」を見る。小さなカードを二つ折りにして刺繍した作品。手紙の文字に刺繍した作品。消しゴムの小さな作品が海岸に長く並んでいる。はんかち。ほぐされた栞紐。色鉛筆の芯の彫刻。本のページを丸めた作品。花のある竹尺。小さな本の文字に刺繍した作品。文庫本による「翼あるもの」66点は、一冊の本のなかのある一行が自立かつ連続して物語を、表紙の裏側と本文ページの紙の色が淡い色合いのグラデーションを、それぞれ成している。壁に映写された回文。台に積まれていた回文が印刷された紙を一枚手に取る。小さな「蓮」の文字の並んだ大きな作品。船のような器のようなかたちのすこし色の異なる半透明がグラデーションとなった小さな作品が並んでいる。口あるいは唇あるいは目あるいは鼻を残してグレーに塗りつぶされた少女漫画の一ページ。少女漫画から切り抜かれた口、目、耳、指、巻毛、袖口、襟、ボタンのあるところ、裾、リボンなどのコラージュ。喪服の袖に刺繍した作品。袖にたまった涙の夢の絵。細かな紙片のある少女漫画のコラージュ。
写真撮影禁止であった。そのことはこの展示では必須と思われた。ミュージアムショップで工藤甲人と荘司福のポストカードを買う。
 
5月12日(火)
(展示会場でのメモ)
 
手紙の作品にもグラデーション
 
口、目、鼻、手指 塗りつぶしの作品
もとめるようなひとつのひだりて
無の空間で会話する三つの口
叫ぶ二つの口
開く三つの瞳
浮かぶ三つの鼻
見開く三つの瞳
ことばを発する三つの口
 
回文の台
蓋された六つの台(四つはガラスケース、二つはアクリルケース)
奥に吊るされたハンカチとその影
異界との通路の入口
台の配列
 
紙を丸めた作品
ハンカチをたたんだ作品
底影が見えるようにガラス板の上に乗っている
 
「翼あるもの」の本文用紙の色
 
メッセージを記す方に刺繍の面
表紙の側は刺繍の裏面
刺繍の裏面にライトを当てている
 
並んでいる本の「翼あるもの」が奥へと導く
門番のように監視員が座ってこちらを向いている
 
ハンカチ
ハンカチとその影のあいだを通ってみる。
なにかおこったか。おこらなかったか。
ハンカチが一方向に回転している。
しばらくすると回転が止まる。
しばらくするとさっきとは逆方向に回転し始める。
回転が止まりすぐにまた逆方向に回転する。
 

 
会場内の入口付近から、台に置かれた作品の配列を眺めていると、その奥に座っている監視員が、異界への扉の門番のように思え、門番がいることにより、われわれはここにとどまっていることができている、という夢想が生じる。夢想のなか、そちらの方へ向かっていく途中で、音楽が流れてきた。そろそろここを去らねばならないようだ。最後のときまで、吊るされたハンカチのしたでその回転する様子を観察していた。

福田尚代 あわいのほとり 会場:神奈川県立近代美術館 鎌倉別館(神奈川県・鎌倉) 会期:2026年2月21日〜5月17日

 

5月16日(土)
新宿駅から湘南新宿ラインで横浜へ向かうために電車を待っている。最近このホームで電車を待って時刻通りに電車が到着したことがない。今日も何分か遅れているとのアナウンス。遅れて到着した別の電車に、もともと予定していたはずの時刻に乗車する。横浜駅で3番ホームへ。根岸線に乗る。石川町駅で下車。コーヒーのチェーン店で食事したあと、展示を見る。作品タイトルの書かれた紙を手渡され、すぐに壁面に貼られている作品タイトルの文字の間違いを見つけてしまい、そのことを伝える。ちかごろこのようなことが何度もあり、余計なお世話なのだろうしもうやめようとも考えていたが、作品につけたタイトルに誤字はよくないと思った。
そのあと10分ほど歩く。はじめてのギャラリー。看板が出ていないが展示は行われているのだろうと判断して扉をあける。「呼吸 川口祐」。14時から川口祐と戸山恢のトークがあり、その前に展示を見るためにすこし早く来た。

 

 

 

 

 

トークがはじまる。窓から差し込むひかり。近くの横断歩道からの音響。そしてひとがひとの話に耳を傾ける。壁面に作品。トークとともに、作者は糸の端を床にテープで貼りつけ、糸巻きの台紙から糸を引き出していき、もう片方の端を即興で慎重に場所決めしてテープで床に止め、糸をちぎった。それは線となった。トークが終わると作者は即座に床の線を剝がした。のちに、どうして剝がしてしまった、と指摘されることになる。
自身の作品を指して「この作品に教わった」という言い方を何度も聞いた。自分のつくりたいものがあってそれを追求してはいるのかもしれないが、制作のありかたは、ひとつ作品ができたら、それに呼応するように次以降の作品へと繋がって引き継がれていくというような具合ではないのだろうか。
今回展示されている絵画の多くは木材を主な素材としている。直角三角形の作品があった。それは、変形キャンバスなのではなく、欠けた矩形であるという。その画面正面には縦に一本の線がひかれている。線はひかれたその一本だけでなく、正面のふちにも、奥行きとなる側面にもあり、縦に一本ひかれた線により生じる左右の線もあるという。言われてみると線が顕在化する。もしかしたら見えていない背面にも線は潜んでいるかもしれない。線は、点と点を繫ぐものでもある、という話もあった。壁に作品が置かれる、ということ。これはなにを意味して、なにをもたらすか。壁は、作品を支える板であるばかりでなく、生起のための空白でもあるだろうか。
夜。もうひとつ展示を見て帰宅。先日海に行ったとき日焼けして顔と腕の皮が剝けてきた。

 

 

 
すべての画像 提供:川口祐

◆呼吸 川口祐 会場:LAUNCH PAD GALLERY(神奈川県・石川町) 会期:2026年5月15日〜5月24日

 

5月18日(月)
ひとつひとつの場面。一瞥し、立ち止まっても、すぐにそこから去ろうとしてしまう。それでも凝視を続ける。右へと移動する。場面は次々と入れ替わっていく。突き当たりまでに13点。さらに右へと13点。縦に長い、長さのそろった銅版画が、大きな黒いクリップで挟まれ、吊るされている。作品からの沈黙が、普段聞こえていなかった、聞こうとしていなかった音声を反響させる。
存在を守るための殻がはがれ、殻の代わりに定位するための箱に収まる。その、裸の状態は、傷だらけでただれ、表面には、地面からの細かなものがまとわりついている。風にさらされ、乾き、いのちのありようとしては空虚で、扱われ方は軽い。作者と話をして、そのようなことがあたまに浮かぶ。世のなかに収容されて、ときを並べ続けて日々を数え、迷い、失い、捕獲されるいくつかの存在。目の前にうつし出されていることに狼狽したのは、それが自分のしてこなかったことだったからだろうか。

 

 

 

梅田恭子 砂と血 会場:GALLERY SAOH & TOMOS(東京都・表参道) 会期:2026年5月11日〜5月23日

 

5月19日(火)
カール・テオドア・ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』を見る。きのうの展示に接して、見ておきたいと思った。後日、王兵の『無言歌』も見ることになるだろう。

 

5月22日(金)
仕事でお会いした方がこれから梅田恭子の展示に行くというので、わたしもご一緒することに。これで3回目。今日は時間に余裕があるので腰をおろしてゆっくりする。2階と1階を何回も行き来し、長いあいだ見ているひとがいる。この展示にかぎらず、そういうひとはすくない。嬉しくなるが、知らない方なので声もかけずに黙っている。いのちの数えられる時間のごくわずかを費やして、数えきれないことを受けとる。そこでそのときなにかが発生して刻まれることになる。
帰宅。つかれてすこし眠ってしまった。夢を見た。誰かの家に来ている。誰かはわからない。そこでは、泣いたり、餅が売れたり、大家が訪れたりしていた。家のその日の時間が終わって、何人かでそれぞれの家に帰る。いちばんうしろを歩いて、みなから祝福されているひとりのひとがいる。

 

 

 

 

5月26日(火)
銀座、京橋でいくつかの展示を見る。藍画廊では髙馬浩の展示が行われていた。作品の間近で、画面に残されている跡を追う。側面の縁ちかくでは、重ねられたのであろう絵具の色がわずかにはみ出している。単色ではなく、多色のかさなりでこのように見えているということになる。髙馬の展示にいつも置かれている椅子に座る。そこから見えているのは、ななめ前の壁にある大きな作品と、隣の部屋にある小さな作品のふたつ。頭のすぐ横にもあるが、角度がつきすぎていてそれはほとんど見えていない。なにも考えずに絵を、見るというよりは眺める。だが、眺める、というと、どうしてもこちらからそちらを、ということになる。目のなかに絵を置くことはできない。視界に絵を置くことはできるような気がした。試して、そしてじっとしている。

 

髙馬浩 会場:藍画廊(東京都・銀座) 会期:2026年5月18日〜5月30日

 

言水ヘリオ(『etc.』発行)