かなたへ向かう道の中で──到達しえない地点としてのP
大槻晃実
2024年の秋頃から、市ヶ谷を訪れる機会が増えた。帰り道に目にする市ヶ谷の夕陽は、大阪・天王寺区の上町台地から見た夕陽を思い起こさせる。その夕陽は、ほんとうに美しかった。俊徳丸にとって、その光はどのようなものであっただろうか。
中野裕介が2007年頃から追い続けてきた「俊徳丸伝説」は、大阪の八尾市や四天王寺にゆかりをもつ説話である。病と排除を負わされ、盲目となって放浪する少年・俊徳丸をめぐるこの伝説は、説経節、能、浄瑠璃、落語など多様な語りにおいて、そのつど異なるかたちで語り継がれてきた。そこにあらわれる俊徳丸の像は、一つに定まらない。中野は、そうした複数の像や断片を重ね合わせながら、東京、大阪、熊本、京都、千葉といった各都市をさまよい、俊徳丸をめぐる道のりを軸に作品を提示してきた。
そうしたあり方は、ある特定の地点に到達することのない「P」──たどり着くことのできない場所でありながらなお、無数の可能性へと開かれ続けている。中野の作品に繰り返しあらわれる「道」は、この不確かな地点へと向かう動きそのものだ。壁や床を這う青いレールのインスタレーションは、巨大なドローイングや複数の映像、言葉たちと連結しながら、接続と逸脱を繰り返しつつ、異なる時間や場所を複数の経路でつないでいく。それは、現実の地形や歴史に根ざしながらも同時にあらわれる、物語や記憶の中の「かなたの道」であるように思う。
俊徳丸は、時に乞食と呼ばれるが、そこにあるのは、ただ施されるだけの受動的な姿ではない。俊徳丸をめぐる語り手には、社会のなかで弱者とみなされてきた盲目の人々も含まれている。すなわち、施しを受ける側とみなされた者が、語りを差し出し伝えていくという、施す側となるのである。このように、与える者と受け取る者の立場は入れ替わり、どちらが主体でどちらが受け手であるのかを容易に分けられない関係があらわれる。水面に映る像のように、この上下の関係は時代や状況によって逆転する。記憶や語りは一方向で伝わるのではなく、反射し、ずれ、折り返されながらも新たな像を結び直していくのであり、その過程において、確かなものとして見えていた構造もまた、少しずつ揺れていくのだ。
「乞食」はもともと仏教の修行形態の一つであり、「こつじき」と読まれ、出家修行者が在家信者に食を乞う生活手段を指していた。のちに、堕落した僧侶や、道心なく金品や食べ物を恵まれて暮らす者を指す語として用いられるようになったという*1。この語がたどってきた意味の変化に目を向けると、言葉の輪郭だけではなく、それを受け取る人々の感覚や考え方、向き合い方が変わり続けてきたのだとあらためて感じられる。
ぐらつきながら編まれていくイメージの重なりの中で、中野がひらくのは、複数の時間や場所、記憶や語りが交差する「道」である。それは、輪郭の定まらない今という時代において、思考を持続させる「場」でもあるだろう。
本展にあらわれるのは、見えなくとも杖に身をまかせながら、歩くことを引き受け続けるという態度である。どこへ行き着くかはわからない、けれども歩み続けるしかない。
*1「乞食」『Web版 新纂 浄土宗大辞典』(最終アクセス:2026年5月25日)

よろぼう少年、かなたの道をゆく►►►市ヶ谷の夢とP
中野裕介/パラモデル
20年程前から僕の地元・大阪の〈俊徳丸伝説〉に惹かれ、調査と創作を続けている。物語の主人公は盲目で業病を負い、よろよろ歩く乞食の少年。説経節・能楽などの芸能、小説や落語、現代劇まで様々な変奏がある。
なぜ惹かれるのか? 一つには、主人公や物語の魅力と共に、抑圧や差別の構造、弱者の問題を晒しつつ、どこか穏やかに抗う趣きを持つから。あるいはその昔、僕の曽祖父が謡曲「弱法師」を謡い、母の従兄である三代目桂米朝が師匠の遺稿として落語版を今に残したという、ごく私的な縁から、など。でも本当はわからない。
数年前、熊本で琵琶奏者が伝えるそれと水俣の石牟礼文学を合流させた。今回はさらに、泉鏡花『貧民倶楽部』や稲垣足穂『彌勒』といった往時の市ヶ谷周辺に触れる文学、防衛省敷地にあった庭園「楽々園」、旧CBS・ソニーの残響、DNPの活字の力能、脱法的な?釣り堀とかつての貧民窟……それらの欠片が、我が名を忘れ共鳴すれば。彼方へよろぼう乞食や狂人との精神的連帯、誰もが拘束なく遊び休む無法地帯、永遠の稽古場、抑圧だけが無い夢、その道行→P。
中野裕介/パラモデル Yusuke Nakano / PARAMODEL
1976年東大阪生まれ。2002年京都市立芸術大学大学院絵画専攻(日本画)修了。2001年同大学の林泰彦と活動開始、2003年ユニット名を「パラモデル」に。メタフィジカルな「模型遊び」をテーマに、多様な作品を発表。2011–17年の図書館勤務を経た現在のソロ活動では、描画やテキスト・空間表現を軸に、文学・哲学・マンガ・建築・郷土文化・古典芸能など、古今の書物を横断し、題材とする創作を続ける。
プレスリリースより抜粋して転載
◇中野裕介 Instagram
https://www.instagram.com/tenasi/
立ち止まり振り返る、そして前を向く
大槻晃実(芦屋市立美術博物館)
この場所で私に何ができるのだろうか。最初に考えたのはそのことだった。私は公立美術館で学芸員として働いている。だが、指定管理者が運営する美術館であるため、公務員ではなく会社員だ。コレクションが健康な状態で受け継がれ、これから先も美術館が存続していくという未来は、決して当たり前のことではない。大切にしていくべきこと、守らなければならないことには多様な視点や局面があり、それがちぐはぐに組み合わさった居心地の悪さが常に同居している。
そんな学芸員が、このαMという場所とどう向き合えばよいのだろうか。各地の美術館が様々な事情を抱え、困難に直面している。それは今もこれからも変わらないだろう。しかし、たとえどのような運営形態であっても、誰が運営者であっても、美術館にはかけがえのないものがある。それは、その美術館の歴史に寄り添いコレクションから刺激を受けながら展覧会を企画してきた歴代の学芸員や、地域や行政との間で試行錯誤しながら運営に関わってきた職員が経験を蓄積してきた場所であり、観客が作品と出会って思いを深めた展示室という場所だ。
30年以上にわたって時代の先端を敏感に察知して活動を続けてきたこのαMという場所では、作家がいて作品があり、鑑賞者が集い、対話や議論が重ねられる日々が続いてきたことだろう。そんな場所の過去と現在を往来しつつ、作品との対話の中から鑑賞者が自ら問いを立てて答えを探るような、そしてそれを皆で共有できるような場を作りたいと思う。参加してくれる作家たちと議論を重ねながら、歴史と今この時の美術を同じ次元でとらえることで、「美術のための場所」のことを皆で共に考えていく2年間にしたい。
自ら考えるという行為を続けることこそが、この社会で美術を健全に存在させていくためには不可欠であるはずだから。
大槻晃実 Akimi Otsuki
芦屋市立美術博物館学芸員。専門は近現代美術。企画した主な展覧会に「今井祝雄―長い未来をひきつれて」(2024年)、「art resonance vol. 01 時代の解凍」(2023年)、「限らない世界/村上三郎」(2021年)、「植松奎二─みえないものへ、触れる方法―直観」(2021年)、「芦屋の時間 大コレクション展」(2020年)、「美術と音楽の9日間 rooms」(2020年)、「art trip vol.03 in number, new world / 四海の数」(2019年)、「小杉武久 音楽のピクニック」(2017年)などがある。
プレスリリースより転載
αMプロジェクト2025–2026
立ち止まり振り返る、そして前を向く
vol. 6 中野裕介/パラモデル
よろぼう少年、かなたの道をゆく►►►市ヶ谷の夢とP
ゲストキュレーター:大槻晃実(芦屋市立美術博物館)
会期:2026年6月27日(土)〜9月5日(土)
休:日・月曜、祝、8月9日(日)〜8月24日(月)(夏期休廊)
時間:12:30〜19:00
会場:gallery αM
住所:東京都新宿区市谷田町1-4 武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス2階
電話:03-5829-9109
入場料:無料
https://gallery-alpham.com
*アーティストトーク
中野裕介/パラモデル、大槻晃実
日時:6月27日(土)17:00〜18:30
- JR中央線・総武線「市ケ谷」駅・出口1、または東京メトロ有楽町線・南北線「市ケ谷」駅・都営地下鉄新宿線「市ヶ谷」駅・出口4を出る
- 出口1からの場合は左へ、出口4からの場合は正面へと進む(建物の屋上の看板に「TKP」とある方へ)
- 線路、外濠を下方に見て直進
- 「市谷見附」の交差点に突き当たり、「くすりの福太郎」「富士そば」の方に横断歩道を渡ってから右折
- 「モスバーガー」「マクドナルド」「ファミリーマート」を通過してすぐ左側にgallery αMが入っている「武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス」
- ギャラリーの入口は「MUJI com」店内の階段を上がった先の2階。徒歩3分。
MUJI com店舗から入場、左手の自動ドアから武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパスのエントランスへ。インターフォンにてスタッフに連絡。スタッフが解錠したゲート(右)から入場、エレベーター(右)へ。2階のエレベーターホール扉をスタッフが解錠、αMへ(※電話でのご連絡の場合、スタッフが1階に下りてご案内)。ベビーカーの方なども同様。
