圓井義典作品展「写真という寓意」

©Yoshinori Marui, courtesy of PGI

 
圓井義典は1973年大阪生まれ。「大学在学中より写真作品の制作を始め、2000年ごろから現在のテーマである「写真×哲学」に連なる作品を発表してきました」。
「風景の匿名性を問うた「地図」(2003)、歴史が土地にもたらした意味を探る「海岸線を歩く─喜屋武から摩文仁まで」(2008)、そして改めて写真と光のもたらす美を追求した「光をあつめる」の三作を経て、「見ること/写すことによって世界は克明になるが、そのことによって同時にむいしきにすてさっているものがある」ということを、見る人と共有するための試みを続けている」。
「初期作、「地図」(2003年)や「海岸線を歩く」(2008年)では、知覚できる世界についての新しい発見、つまり知覚世界についてより一層想像力を膨らませるきっかけを、眼前の事物の細部描写に見出してきました。光を主題とした「光をあつめる」(2011年)の頃から、写真術と事物とのかかわりそのものを考えることが、より直接的に知覚できる世界について想像を膨らませるきっかけになる、と考えるようになります」。
「本作「写真という寓意」は、世界の汲み尽くせない豊かさをテーマとする寓意作品です。写真が想起する記憶と現実の差異、そこから広がる未知の可能性を見つめる本作では、新型コロナウイルス感染症の流行以降に撮影された、明と暗、光と翳、美と醜、都市と地方、人工物と自然物、生老病死、真面目と遊びといった私たちをとりまくものの持つ複雑で多様な性質を象徴する写真で構成しています」。
(プレスリリースより抜粋)
 

写真という寓意
 
スマホにたまった写真を見返していたある日、それらの写真がとてもよくできた喩えのように思えた。
写真一枚一枚がある事物や出来事、世界の視覚的断片だとすれば、つないだ娘の手のぬくもりやSNSで目にしたコメント、そんな私自身の日々の記憶ひとつひとつも、私自身がとらえた世界の断片のようなものだといえるだろう。
ところで、自分で撮ったことさえ忘れていた写真や他人の写真を見て、偶然そこに新しい何かを見出したり、写された人の知らない一面を見出したりすることは、きっと誰にでもある経験にちがいない。もしそうだとすると、そして私たちの記憶も写真と同じく世界の断片のようなものなのであれば、自らの人生やこの現実に対するこれまでとはまったく違ったイメージを、私たち自身が忘れていた記憶の中に、そして他人の記憶の中にある時ふと見出す可能性がいつでも潜んでいるということではないだろうか。
ここにある写真たちは、ここ数年のあいだに偶然何かの拍子に撮影されたもの、私の記憶そのもののような存在だ。なぜそれを撮りたいと思ったのか、誰が撮ったのかということすら(中には娘たちが撮ったとおぼしきものもある)忘れてしまったものさえ含まれている。
それらの写真をあらためて見返す行為は、私にとってはいつもは通らない道を歩いてみるような、あるいは久しぶりのパサージュを散策するような、そんな新しい発見のためのちょっとした冒険でもある。
それによって実際に何かが見つかるかどうかはあまり重要ではない。むしろ、未知の可能性が、汲みつくせない世界の断片が、今も目の前のどこかに隠れているにちがいないということをあらためて確かめることこそが、私にとっては何よりも大切なのだ。

2024年11月
圓井義典

プレスリリースより

 
圓井義典作品展「写真という寓意」
会期:2025年2月5日(水)〜3月15日(土)
休:日・祝、展示のない土曜日
時間:11:00〜18:00
入場無料
会場:PGI
住所:東京都港区東麻布2-3-4TKBビル3F
電話:03-5114-7935
https://www.pgi.ac/exhibitions/10558
 
経路
◆都営大江戸線「赤羽橋」駅・中之橋口を出て右、「ファミリーマート」の角を右折。四つ角を越え、次の四つ角の横断歩道を渡り直進、突き当たりを左へ。再び突き当たりを右折、「まいばすけっと」を右に見て小さな交差点を直進し左手の建物。オートロックのためインターホンで呼び出し。
 
車椅子
ビル入口に段差あり。車椅子単独の場合は電話、介助者がいる場合はインターホンか電話でスタッフを呼び通用口から案内。
 
SNS
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